【遊劇舞台二月病「Round」】「観ていたのはどっち?」【May 金哲義 (座長・作・演出・俳優)】

スペースドラマ

「今回ラストはハッピーエンドなんですよ」
脚本演出の中川さんはやたらと強調していた。
全く信じてはいなかったけど。
若い時には僕も、先輩方から感想を言われても、こう言ってた。
「そうかなぁ。僕なりにハッピーエンドなんだけどなぁ」

僕は二月病さんの作品で二月病さんの出演者が笑っている姿を見たことがない。
今回初めて主演の松原さんの笑顔を劇中で観れた。
(素直な笑顔ではないけど)
ルーデルマンさんに至っては他劇団でホットドッグを売っている時しか笑顔を見た事がない。

今回中川さんが「ハッピーエンド」と強調していた意味がわかった。
ラストあたりにやたらと「これからや!」を連発して、ちょっと希望っぽい音楽を流す。
うん、まるでハッピーエンドっぽい。

それまで、どれだけのバッドを展開してるんや!!
積み重なった鬱をラストの数分で帳消しにできるか!

と思った矢先に中川さんの手腕に感心する。

これがパチンコじゃないか。
負けて負けて負けて負けて、ほんの一瞬の勝ちに永遠の希望を感じて、また鬱な日々を繰り返して周りを伝染させる。
セットではない。脚本ではない。台詞ではない。
中川さんは全ての世界観でパチンコにハマる闇を描いたんだと思った。
依存症の人たちは、ほんの一瞬のハッピーエンドにハマって、ズブズブと沈んでいく。
そうか。
中川さんは人間ひとりひとりの「人生依存症」を描いたんだ。
目まぐるしく回り続ける人々の人生。
それは自分が打つのではなく、もう流れをボンヤリと見つめるしかない。いや見つめるしかできない。
主人公が打つ台が客席を向いていた。
舞台と客席を隔てる場所に設置された台。
僕たちは「観られていた」のだろう。

僕は大学生になったばかりの時に
「パチンコはビギナーズラックがあるんや」
というジンクスの嘘を信じて、初めては勝てるんやとお金が無い時に盲信して意気揚々と打って、千円スって「これなら吉野家を二杯食べられたのに」とポケットに手を突っ込んでボロボロの歩みで帰宅して以来、ギャンブルの素質無しと自分に結論づけて、幸いながら賭け事をしないし、できない。

なので、なにがキッカケでパチンコ依存症のスイッチが入るのかは、パチンコ依存症の経験がないので、作品から読み取れる、松原さんの演技の表情からしか知れないし、それが正解かどうかもわからない。
でも、僕なりに読み取れたつもりでいる。

僕は二月病さんの作品が好きだし、若手と呼ばれる人たちにこんな劇団が出てきた事はとても嬉しくて、素直に応援したいなと思った。
劇団員が作品にしっかりと責任を持っているのがハッキリと見える

ただ。
僕に子どもはいないけど、もし子どもがいて将来こんな作品を書いたり、今劇団員の子役が将来こんな作品を書いたら、大人として落ち込むなぁ…笑
そして、二十代の時にそんな事を大人の人に言われてしまったのも事実。

これからも応援しています。

*松原さんとルーデルマンさんが[接見禁止]の話をするくだりが、スリムクラブの[間]だったのが面白かった*