【遊劇舞台二月病「Round」】浮遊感【戒田竜治・満月動物園】
観劇していて独特の浮遊感がある。遊離感と言ってもいい。言葉との距離感に独特なものがある。それは、物語と言葉であったり、俳優の身体と言葉であったり、さまざまなモノ・コトと言葉との距離感に独特なものがある。
ただ、まだその距離感は定まっていない。独特の浮遊感と称したものが味わえるときと味わえないときがまだらにある。ふわっと浮遊させられたとき、なんとも自分の立ち位置を見失いかけるような瞬間が心地よかった。だけども単に墜落してしまっている瞬間も混在している。
技巧的な話はしても仕方ない気がするのだけど、舞台美術をそのままに主人公の男を中央奥の広いエリアのど真ん中に配し、エピソード群を前の狭いエリアに配しても良かったのではないかと感じた。その方がエピソード群それぞれのステレオタイプ感を活かすことが出来たのではないか。主人公の男がのめり込むパチンコ台の向こう側に、明確に客席を配し主人公の男に思い切った集約を図った方が意図が伝わりやすかったのではないか。主人公の男の孤立を引き立てることが出来たのではないか。狭いところでエピソード群がバタバタと展開されたらパチンコ台感も上がったのではないか、そこにエピソードをステレオタイプ化した意義が生まれたのではないか、と思う。単に好みの問題かもしれませんが。
誰が誰に向けた言葉なのか、どこからどこに発せられた言葉なのか、どこのだれが受け取る言葉なのか、浮遊させられる宙を舞う精度が上がって行くなら楽しみだ。