【遊劇舞台二月病「Round」】感想 【コトリ会議・山本正典】

スペースドラマ

コトリ会議の山本です。
遊劇舞台二月病「Round」観劇しました。
とても辛い劇でした。
登場人物たちの置かれている状況が、どれも辛いものでした。
そして音と明かりがほぼ絶え間無く、物語を辛く悲しくみせていました。
音と明かりはその辛さを追うべきだったのでしょうか。
演出の中川さんは、この物語を辛く悲しく見せたかっただけなのでしょうか。
最後に希望をあてたのにはどういう意図があったのでしょうか。
僕は今回の劇を見るより、中川さんの考えてることを、黒板を使って説明してくれた方がよかった。
以前、應典院のトークイベントで、中川さんが今回の劇についてお話されたことがありました。
そこで中川さんは、今回の劇のモデルになった地のことを話し、そこで見た面白いおじちゃんのことを話してくださいました。
劇では、そういったおじちゃんの愛嬌が全て切り捨てられていた。
主題を伝える為には必要のないことと判断されたのでしょうか。
さらに音と明かりが、劇のそこかしこに散らばった、小さな、人のおかしみを、徹底的に摘み取っていったように感じました。
役者さんはどう思われていたのだろう。
音と明かりは悲しい楽しい嬉しい辛い演技を助けてくれることもあるけれど、それって一つ間違えれば自分たちの演技を悲しい楽しい嬉しい辛い一色に塗り潰されることだ。
パチンコに依存した男性の苦しい言い訳、まるごとソーセージの悲劇、ほかにもほかにも、登場人物の魅力を伝えられる場面はたくさんあったのに、あったのにだよう。
結果全てが悲劇チックに飲み込まれて、登場人物が皆おんなじに見えてしまった。
象徴的な場面で音楽が消えたこともあったけれど、そんなのあとの祭りだ。
貧乏の真ん中に居座った白いフードの女性は、ただ、広辞苑の「貧乏」の説明をしただけだ。
たくさんあったエピソード、たくさんの登場人物は皆おんなじ調子、テンポで台詞を喋り、皆がおんなじ味の涙を流して、あの、僕は言わせて頂きますよ、きっと多くの時間を稽古に費やして、皆きっと妥協しないように妥協しないようにって突き詰めてる、必死の形相を見て離れていった彼氏彼女もいるかもしれない(ほんとにいたらゴメンやで)、人生の一欠片じゃないんだ、人生の塊を犠牲にしたこの半年か三ヶ月か一ヶ月、それを今、何処ぞの知らない男に難癖つけられている、難癖つけているのは僕であるけれど僕は僕、僕だよ、僕は考えるべきだと思うんだよ、前売り2500円の重みを、そんなこととっくに考えてるだって、だったら僕は、僕はね、なんにも言えないよ…
とにかく、社会問題を取り上げてだとかそんな枠組みどうでもいいでしょう中川さん。
きっと中川さんの描きたいのは人の営み、人の弱さ、強さ、ひかり、生活を手放す辛さ、だからこそ垣間見たひかり。
そこを突き詰めて中川さんは今、パチンコ依存症にたどり着いたんでしょう。
人の営みはどこへいった。
これは劇評かどうかだなんてどうでもいいだろう中川さん。
人の営みはどこへいった。
僕は、年下で、なおかつチヤホヤされてる優しそうな風貌の男性には強気で出られるぞ。
面と向かってはしどろもどろになっちゃうけれどね、インターネットを通じてみれば僕の犬歯は鋭いんだぞ。
僕は、この劇と、前のトークイベントで、中川さんの考えたこと、見たり聴いたりしてきたこと、とても知りたいと思いました。
中川さんは、ご自分の考えを、劇の形で表現しようとされた。
それなら、劇であらわす意味を僕は知りたいと、思ったのでありました。
おわり