【コトリ会議 「あ、カッコンの竹」】感想【CQ/ツカモトオサム】

スペースドラマ

客電が消える間際、板付きの演者たちがゾロゾロと登場する。
いつものコトリ会議のオープニングだ。
毎回の公演で着実に力を付け、伸び悩みを全く感じさせない優良な中堅劇団の一つである。
持ち味の牧歌的でどこかノスタルジックな作風と、全く先の読めない展開が魅力で、棒読みのような淡々とした科白回しは独創的に綴られた台詞と見事に融合し、観るモノの心を掴んで離さない。
セリフ術は少年王者舘に近付きつつある。
しかも本作には、これまでの作品で物語の終盤に垣間見える終着点へ向かう時の迷いが全く無い。
完全に一皮剥けたと言える。
自殺の名所、富士の樹海をモチーフに、そこに命を納めに来るモノたち姿から、生から死へと移り変わる刹那の物語を寓話のように描き出す。
これは大人に見せるメルヘンである。
しかもここは樹海ならぬ広大な竹藪で、この竹藪で人が死ぬと「カッコン」と鹿威しの音が藪の中に木霊する。
この設定がすこぶる良い。
これを具象的に客席の上手前部に設えた鹿威しの仕掛けが昇降し、カッコンと鳴る様を観客に視認させるのだが、客席下手側からは観客が壁になり全く見えない。
2尺ほど高くするか、舞台奥の程良い高さに設えたい。
何なら具体的に無くても成立する。
そしていつものようにヘンテコな宇宙人の兄妹が登場する。
それをまた登場人物の誰もが当然の如く受け入れ、誰もその存在を疑わない。
この世界では誰とでも普通に会話が行われる。
この世界観は、サン・テグジュペリであり、トーベ・ヤンソンであり、宮澤賢治と同じモノで、観客も同様にすんなりとこの不思議世界に誘われる。
ある時は遠く離れた星であったり、人里離れた沼であったり、今回は竹藪であったり、それらはきっと同じ世界のどこかに存在する場所で、妖怪やモンスターや宇宙人や幽霊が、当然とばかり存在し、動物や植物や物質とも普通に会話が出来るのだ。
流麗で心地よい話し言葉と、惜しみなく次々に描かれる繊細で美しい場面の数々、本当に素晴らしい。
常々、舞台作品に大切なのは追従を許さぬ独創性と、観客が心に刻み込んで忘れられない名シーンだと説いてきた。
ラストシーン、横たわり死にゆく女を、傍らに座し見守るだけの男女の構図が美しい。

と、まぁ全般ベタ褒めなのだが、幾つか注文を。
照明は終始薄暗く、見事に竹藪の中を再現しているが、初日は人物の顔をフォローするために客席に措かれたSSが両端の観客には明るく、せっかくの暗がりが活かせない。
黒パネルか暗幕で対応を!
冒頭のシーンが終わった後の転換が秀逸である。
藪の中に居る人たちが一斉に登場し、各々の場所に辿り着き、ワンアクションあって次シーンの演者を残し退場する。
転換は暗転以外は全てこれを採用すると良い。
全員でなくても、次シーンに関係ない人物も登退場させることにより、観客の視線をポイントからポイントではなく、一旦全景を見せることで広がりを感じさせ、前後のシーンの物理的な近接感を払拭できる。
宇宙人は兄妹ともに他者によるマイク処理にすれば、意図的な処置に見せることが出来ると解りつつも、作品の完成度より台詞を覚えた役者の苦労を優先し、敢えてチグハグな演出を良しとした優しい演出家を誉めたく思う。
その優しさ無しにして、真に万人に優しい作品を創作できる筈はないのだから。