【匿名劇壇『レモンキャンディ』】ジョークの本質【橋本達矢(遊劇舞台二月病)】

スペースドラマ

匿名劇壇さんのホームページを拝見するとこのような記述があった
〝作風はコメディでもコントでもなく、ジョーク。自分たちの身近にある出来事を、自分たちをモデルにしたキャラクターを登場させながら、自己言及的な台詞を吐かせつつ、客観的でスマートなエンターテイメント作品に仕立て上げる。〟
 〝ジョーク〟という言葉が気になった。なぜかと考えてみると、作風についてコメディ、コントなどと言われれば聞いて想像できるが、ジョークという言葉はその説明としてはあまりピンとこなかったからだった。
 そもそも〝ジョーク〟とはなんだろうか。考えてみてとりあえず思い出したジョークはこれだった。
『今日は雨が降っていたけど、僕はカサをささなかった。……なぜかって? 昨日、シャワーを浴びてなかったんでね』
 なにで聞いたのか、どこかで読んだのか忘れてしまったが、これを見るにジョークをジョークたらしめているものは、〝導入〟と〝オチ〟なのではないかと思った。そしてこのジョークに関わる〝導入〟と〝オチ〟というものは、描かれる物語というものの〝設定〟と〝結末〟という構造によく似ている。突き詰めていくと、〝ジョーク〟と〝物語〟はその根底に聞き手、観客に何かを感じ取らせるのに必要な皮肉や思いがけない面白さを持っているのではないか。
 さらにジョークというものはコメディやコントなど〝劇〟というものと切り離すことができないものと比べると、より身近に感じやすい印象で、よりパーソナルなことを取り上げやすいもののような気がする。
そうなると〝自分たちの身近にある出来事を、自分たちをモデルにしたキャラクターを登場させながら、自己言及的な台詞を吐かせつつ……〟と彼らが述べるのも納得できるというものだろう。
 演劇作品において、描かれる物語や演出効果、もちろん出演している俳優の姿など、観客に提示するものとして作り手はそれらを意識しているのだが、そこには作り手のひとりよがりが潜んでいて、観客への提示という観点が置き去りにされる危険性をはらんでいる。自分自身についての言及を続けて、物語にまで落とし込み、〝ジョーク〟として観客に親しみを込めて提示をする。〝客観的でスマートなエンターテイメント作品〟というものとはこういうものだろう。