【匿名劇壇「レモンキャンディ」】を観た感想 Micro To Macro 代表 石井テル子

スペースドラマ

匿名劇壇さんはもう何回目がわからんくらい観ています。
今作「レモンキャンディ」は、先ず劇場に入ると流れてくる粋な音楽でテンションが上がり、舞台美術を見てうわーってなる。もうこれだけで観る側の心を半分は掴んでないかい?と思う。
(どうでもいい情報ですが、ミクロも旗揚げ公演が八百屋でした。また八百屋でやりたいなぁ・・)
これ、絶対ハラハラドキドキするやつやーん!と思わせる設定なのに、始まった途端、この状況でパニックになっている人は一人だけで残りの人間は、状況をすんなり受け止め諦念すら通りこした日常感、最後の7日間をどう過ごすかを普通に考える。ルールを決めようなど。でもそれすら意味ないねと。低体温だ!
こういう設定だど、なんとか「生きる」選択を必死で最後まで探したり、地球に残された家族に何らかの想いを残そう・・とかいう路線になると思うんだけど、それは匿名劇壇なので、そうはならない。これも私が今こうして感想を書くのに色々思い起こして後から考えたら、普通そうだよね・・と思っただけなんだけど。普通ってなんだ。
そんな「普通」っぽい発想をヒョンと飛び越えて、むしろ真逆を走り、なのに、会話はとてつもなく日常で。しかし、そんなアレコレを考えさせないくらい最初から面白く観れるんだなぁ。
唐揚げにレモンをかけるかどうかの選択肢を奪うなと始まるけど、もう生きる選択肢ないし。面白い。匿名劇壇にしか出せないものがもうのっけからモリモリだ。
でも、もちろんハプニングは起こるわけですが。集められたという職業・立場が全く違う人間どうしの台詞の応酬が見事だなぁと。それもこうだろうーと説教くさくならず、さらりといい合う感じ。これぞ匿名劇壇だ。
匿名劇壇には、作品を劇団員の役者だけで作っている強み、劇団力を感じる。役者の良き所をふんだんに生かし発揮させているなと思う。これを劇団員だけでやれるってとても羨ましい。
最後のレモンキャンディで体感を伸ばすっていうのが、ゾワッとした。落ちて死んでいくのを待つだけの時間。それを伸ばしてどうすんねんって思うと同時に、この最後の時間を少しでも伸ばしたい「生きる」ことへの確かなあがきであり。この人たちは「ちゃんと」生きたいと足掻いていたんだと。観てて、どうかこのレモンキャンディが解けずに永遠に口の中に残っていてほしいなと思った。
そしてこのお話が誰かの悪い夢であってくれたらなと。