【コトリ会議『あ、カッコンの竹』】「僕の世界のことも、僕は分かりきっておりませんので」【サリngROCK(突劇金魚/作家・演出家)】
匿名劇壇の皆さんが東京公演中で、コトリ会議さんの公演が見れないということで、感想ブログ、代打に来ました。突劇金魚のサリngROCKと申します。匿名劇壇『レモンキャンディ』のアフタートークで、匿名劇壇の近しい一人になれたんだと思います。
コトリ会議『あ、カッコンの竹』初日観て来ました。
素晴らしかった…前半…
照明の暗さ、美術の竹やぶ感、俳優の体の緊張状態、それらがちょうど合わさって、生と死の境目のような緊張感をずっと感じられました。生と死の境目が緊張する状態なのかは知りませんが、きっとこんなぐらい静かに緊迫してるんだろうなって信じられるほど説得力を感じました。
暗い竹やぶで、語り合う男女やうろつく男たちのさまが、説明的なものとしてではなく、感性に訴えかけてくるような体験で、こちらも一緒に緊張できて、その時間が素晴らしかったです。
そこに、宇宙人やご陽気ぽい変な生き物(お母さん)が登場するというところがまた最高の粋でした。
私は、この世界は人間の理解の範疇だけでは語れないと思っておりまして、作劇するときでも、作劇している本人はその世界を自分で作っているわけですが、それでも(その人が自分の作った世界だったとしても)その世界全てを知り得て語り尽くせると思っておらず、やっぱりどうしても自分の手に負えないものがあるんだ、っていう感覚を信じております。
コトリ会議の作演出家の山本くんも、そうなのかなと思いました。
宇宙人やご陽気ぽい変な生き物が出てくることで、じっくり描いた人間世界の生と死の境目のことを、「いや僕はそんなこと全部わかってるわけじゃないんで」って言っているように見えました。
「人間とか僕の想像を超えたことがあるんだと思うんですよ」って言ってくれているように感じました! 私もそう思う! まだ書いている自分自身ですら分かっていない、分からんことがある、それをそのまま書いたら、ほんまよう分からんくなっちゃった、でもしかし、そんな「よう分からん状態」が真実だと思うのです!
なので、よく分からない状態のものがじっくり進んでいく前半、私はとても楽しみました。宇宙を感じたり、死を感じたり、終わりたいと願う生をダイレクトに感じました。
前半前半言うてすみませんが、後半につれて、幾つかある物語を、無理やり終わらせる説明が増えていったような気がしましてちょっと残念でして、それで前半前半言うてるんですが、でもその後半も、幾つもシーンを重ねて、それはどこで終わるかを決めあぐねているかのようで、ラストシーンのようなシーンを重ねているそのこと自体が「やっぱり分からないんです、世界は。宇宙は。だからどこが終わりなのか今探してるんです」っていう山本くんの心の「さま」のようにも思えて、やっぱりそのこと自体は信じられるなあと思いました。
(本当の山本くんの心は知りませんけど…)
暗い静謐な竹やぶを一緒に体験できました。そこに生きる静かな人間も体験できました。コトリ会議でしかできない体験だったと思います。それが、すごくいいことだと思います。