【無名劇団『無名稿 出家とその弟子』】観た感想【ツカモトオサム・CQ】

スペースドラマ

舞台監督・CQ/ツカモトオサムです。
今年のスペドラ○も舞台作品の感想を述べさせて頂く。

3年連続出場の無名劇団の新作は、文学翻案シリーズ「無名稿」の3本目。
倉田百三の宗教劇『出家とその弟子』をベースに、独自の現代的な解釈で再構成し、更にそれを破天荒な演出でエンタメテイストに仕上げている。
音楽、衣裳、小道具、振付、パフォーマンス、等々、演出面は総じて現代仕様で、原作の持つ古めかしさとは対極の要素を散りばめながら、正確に丁寧に戯曲をなぞっていく。
いつも通り、入念に稽古されていて、真面目にしっかりと作られている。
仏法と恋の板挟みに悩み、親子の確執に嘆き、愛も煩悩も併せ持つ人の生き方、在り方を描きつつも、迷いなき恋愛の姿を型破りのトラジコメディーで描いた挑戦作に受け取れる。
だがやはり、最終的なテーマは人が人を愛することに絞られる。
愛とは何か?
愛とは有りの侭を認めることである。
信じることであり、許すことである。
親鸞は親子の思いを越え、息子である善鸞の有りの侭を認め、その未来を信じ、救うことよりも今のままで在ることを許したのだ。
秀逸なラストである。

良作と思いつつも幾つか気になるのは、BGMにボーカル曲を用いることとエリア転換の多用。
洋楽もパフォーマンスには良いのだが、確信して音量が大きくてテンポが速いため、科白とは相性が悪い。
転換に統一性を持たせるのにパフォーマンスとエリア転換を多用するが、エリア転換のスタンバイはどれだけ美しくシルエット化しても次場面の準備に他ならない。
視認される舞台上のスタンバイには必然性が必要に思う。
芝居のテンポを崩さずに場面をスイッチする独自の転換を考案するのがベストである。
だがテンポを崩すような転換なら、現状で十分と言える。