【私とスペドラ】―「お坊さんは、演劇人か?」―【秋田光軌】
福祉関係の仕事をしていて、お坊さんになることなんて全く考えていなかった2010年、ひょんなことからspace×dramaの全公演を拝見しました。特にbaghdad caféの公演が印象に残っています。思えば、演劇に興味はあったけれど、劇場に足を運ぶ習慣もなかった自分にとって、意識して観劇をする初めての機会でした。人生どう転ぶか分からないもので、修行を終えてお坊さんとなり、應典院に勤めるようになった2014年度以降は、毎回公演を楽しませていただいています。
私は演劇人ではありませんので、以前から「演劇とは何ぞや」ということが不思議でなりませんでした。ライトを浴びて大量の汗を流しながら、最大限のエネルギーと感情を込めて、物語を演じきる役者さんの姿。上演にかけるその情熱の在処をしばらく理解できないままでしたが、浄土宗のお坊さんになってからは共感することが増えました。なぜなら浄土宗のおしえとは、「なむあみだぶつ」というたった一つのセリフ(お念仏)とともに、「阿弥陀仏と極楽浄土の物語」を死ぬまで精一杯演じなさい、というものだからです。二千年以上前から出来ているホン(仏教経典)を、2017年の日本において、いかに演出し、上演するのか。それを考え、死の時まで演じきるのが、僧侶の本来の役割なのです。
もう一つ、お坊さんになってから演劇に触れて驚いたことがあります。それは、多くの方が演劇を「稽古場と舞台上だけのもの」だと思っていて、私たち一人ひとりの生き方や死に方と、演劇が直接に関係しているとは思っていないらしいということでした。應典院で長年「からだとことばのレッスン」をされていた演出家の竹内敏晴さんが書かれているように、演劇とは決して非現実の体験ではなく、むしろ社会のなかでも最も現実に近い種類の体験なのだとすれば、演劇の上演に携わる人間には「舞台上で演じていること・表現していること」と「日常生活における自らの生き方」とを、結びつける責任と義務があることになります。そして、その人にとって演劇が「稽古場と舞台上だけのもの」なのか、それとも、その人の人生そのものと深く強く結びついているものなのかどうかは、作品や人柄を見れば容易に判断できることでもあるのでした。
さっそく前言撤回いたしますが、上に述べた意味に限って言えば、実は私は演劇人なのではないか?と考えはじめています。南無阿弥陀仏、意訳すれば「限りない命と光のはたらきにお任せします」というセリフに、秋田光軌という人間の生き方を、そっくりそのまま一致させること。たとえ「阿弥陀仏と極楽浄土の物語」を信じる気持ちに疑いが生じたとしても、先人たちによる読解の歴史もふまえながら、あたかも完全に信じているかのように物語に身を投じること。應典院にspace×dramaがなければ、私にこのような着想が芽生えることもなかったでしょう。大きな気づきを与えてくれたspace×dramaに、心から感謝の意を念じています。合掌。