【私とスペドラ】「悔しかったという思い出」【合田団地】

私とスペドラ~スペースドラマ14年の担い手たち

シアトリカルフォーラム「愛情マニア」お世話になりました。誘っていただき嬉しかったです。稽古や本番を通して、人のことをきちんと好きになるということがどれほど困難なことかを考えていました。言う機会がなかったのでここに書きますが、僕が演じていた咲倉が塔子に抱いていた感情は殺意のようなものだったのでは、と思います。過剰な好意が殺意のようなものに変わったのではありません。殺意のようなものこそが咲倉にとっての好意だったのだろうと、そういう形でしか他人に愛情を持てなかったのだろうと、そう思っています。あくまで僕が演じるときに解釈ですけどね。
2015年にスペドラに参加させてもらって、負けて、勝ちたかったので、とても悔しかったです。2011年に結成して、京都でずっとやっていて、それなりに評価されたりして、自信もついていたし、京都でそれまでやって来たことをそのままスペドラでもできれば勝てると思っていました。京都だけでやっていてもお金のことや動員のことで限界がやってくるのはわかっていたので、大阪にも活路を見出せればいいと思っていました。スペドラで勝てれば活路が開けるだろうと思っていました。京都と大阪の架け橋にでもなれればと思っていましたし、匿名劇壇、がっかりアバターに続ければ、僕等も関西でキテる劇団のうちの一つだと思ってもらえるだろうと思っていました。
悔しかったです。出来だって必ずしも満足できないものではなかったし、がっかりアバターの坂本くんが「面白かったです。優勝じゃないですか」と言ってくれたので、てっきり勝てるものだと思っていました。負けました。僕等のはどうやら雑だったみたいです。もちろん自覚はあったけど、嫌なものだとは思っていなくて、むしろ武器だと思っていました。そうじゃなかったみたいですね。面白い雑さではなかったみたいです。
負けて、悔しくて、勝てないくらいだったらっていう感情やその他いろいろ重なって、劇団を解散して演劇をやめようかと思ったりしましたが、スペドラでの公演を見てくれた人が「面白かった」と言ってくれたり、仕事をいただけたりしたので、やめるのやめました。嬉しかったからです。参加してよかったと思いました。今では負けて悔しかったことも、もっと面白いものを作るぞとモチベーションに変えることができています。重ね重ね、参加してよかったです。おわり。

合田団地・努力クラブ
space×drama2015参加

合田団地プロフィール

1987年生まれ。大阪府高槻市出身。努力クラブ代表。作家、演出家、役者。2011年、佐々木峻一とともに努力クラブを旗上げ。以降、京都を中心に活動する。作風は暗い気持ちや後ろめたい気持ちをコメディに仕立てあげる。今までで一度だけ戯曲賞の最終選考まで残ったことがあります。

努力クラブ 公演情報

努力クラブのやりたくなったのでやります公演
「フォーエバーヤング」
4月29日~30日
@京都・人間座スタジオ

努力クラブホームページ

http://www.geocities.jp/doryokukurabu/